「宝くじを買うやつはバカだ」と聞いたことがある人もいるでしょう。特に、西村ひろゆき氏のような論客が、宝くじを買う行為を「還元率が低い」と断じ、「確率と投資金額からのリターンの計算ができないバカ」と揶揄する発言は話題になります。しかし、本当に宝くじを買う人は「バカ」なのでしょうか?この記事では、宝くじを買う人たちの心理やその行動を通じて、「合理性」と「人間らしさ」について考えてみたい。
目次
宝くじを買う人は本当にバカ?

ひろゆき氏は、年末ジャンボ宝くじを買うために西銀座のチャンスセンターに並ぶ人々を「頭の悪い人」とTwitterで批判しました。彼の根拠は「還元率が低い」ことにあるようです。つまり、購入した金額に対してリターンが少ないという点を指摘し、これを理解せずに宝くじを買う行為を「バカだ」と言っているのです。
しかし、ここで一つ大事な視点があります。宝くじを買う多くの人々は、利益目的や投資の一環として宝くじを購入しているわけではありません。ほとんどの人は、年末ジャンボで10億円当たる可能性があることを「真剣に信じているわけではない」のです。むしろ、「もし当たったらどうしよう」という夢を楽しんでいるのです。この点を考慮しないまま、「宝くじを買う人はバカ」という評価は、少々一面的と言えるでしょう。
宝くじは「投資」ではなく「コト消費」
宝くじを「投資」として見るならば、それが不合理であることは明らかです。投資として考えた場合、還元率が低く、長期的に見ると損をする可能性が圧倒的に高いです。しかし、宝くじを買う人はこれを「投資」ではなく、「消費」として楽しんでいるのです。
宝くじは、言わば「コト消費」の一種です。「10億円当たったらどうしよう」「あの高級車を買おう」「世界一周旅行に行こう」といった妄想を膨らませることで、しばし現実を忘れ、夢の国に浸ることができるのです。この点で、宝くじを買う行為は、遊園地に行って非日常を楽しんだり、映画館で一時的に現実を忘れる行為と似ているのです。
ひろゆき氏が宝くじを「バカ」だと評するのは、合理的な視点から見れば正しいかもしれませんが、それだけでは宝くじを買う人々の心理を正確に理解しているとは言えません。合理性だけでは測れない「楽しさ」や「夢」が、人間の行動の大きな動機となっているのです。
宝くじを買うことと釣りの楽しさは同じ?
この「コト消費」の考え方をもう少し広げてみましょう。例えば、「釣り」を趣味にしている人を思い浮かべてください。釣りに行くためには、船代や道具代がかかりますし、魚を買うよりもはるかに高いコストがかかります。それでも、釣り好きの人は「自分で魚を釣る」という行為そのものに価値を見出し、そこにお金を使うのです。合理的な判断であれば、魚は魚屋で買うほうが明らかに安上がりですが、釣りの楽しさは「魚を手に入れる」だけではなく、「釣りをしている時間そのもの」にあるのです。
宝くじを買う行為も、これに似ています。「10億円が当たったらどうしよう」という夢想を楽しむことで、宝くじそのものが消費として成立しているのです。たとえ1等が当たらなくても、その過程における高揚感や期待感が、購入者にとっての「満足感」を提供しているわけです。
人間は100%合理的ではないから面白い
ひろゆき氏のように、すべてを合理的に捉えようとすることは、確かに重要な視点です。特に、経済活動や投資の世界では、確率やリターンを冷静に計算することが求められます。しかし、同時に、私たち人間は100%合理的な存在ではありません。むしろ、不合理な選択を楽しんだり、感情に流されることがあるからこそ、人生は面白いのです。
たとえば、東京ディズニーランドに行く人たちも「夢の国」を訪れるためにお金を使います。それは、物理的なモノを手に入れるのではなく、その場所で得られる体験に価値を見出しているからです。もしディズニーランドに行く人が「バカ」だというならば、宝くじを買う人たちも同様にバカだと言えるかもしれません。しかし、それはあまりに狭い視点です。多くの人は、合理的な判断と同時に、感情的な楽しみを求めて行動するのです。
結論:バカで何が悪い? 人間らしさを楽しむ自由
結局のところ、宝くじを買う人がバカだと言われたとしても、「それがどうした?」というスタンスが一番健全かもしれません。合理性だけで人生をすべて割り切ることができないのが人間です。100%合理的な人間は、かえってつまらない存在かもしれません。私たちは、時にバカなことをして、そこから楽しみや満足感を得る存在なのです。
バカで何が悪い?宝くじを買って夢を見る楽しさを、人間らしい行為として大いに楽しみましょう!!
【500名以上の高額当せん】日本一当たる西銀座チャンスセンターで買おう!自宅から簡単に宝くじ購入代行